「羂索ー羂ちゃーん起きろー朝だぞー」
寝室のドアを開けながら髙羽はいまだ起きる気配のないベッドの上のまんじゅうに向かって声をかけた。
窓際まで進みカーテンを開けると、冬晴れのあたたかな陽射しが部屋に入ってくる。見るだけで心が晴れるような青空を背にベッドを振り返れば、まんじゅう──羂索 in 羽毛布団は起き上がるどころかますますぎゅっと布団のなかに縮こまっていた。さっきまではかろうじて頭のてっぺんが布団から覗いていたのに、今はそれすらもこんもりとしたまんじゅうの中だ。
「ほらー羂ちゃんさわやかな朝だぞー気持ちのいい朝だぞー大掃除日和だぞー起きてるの分かってるんだから早く布団から出ろー」
羂索を包む羽毛布団を剥ごうと髙羽がそれに手をかけると、寝起きとは思えない力で内側に布団を引っ張られた。たぬき寝入りを解いてまで籠城戦の構えを取ったようだが、フィジカルに関しては髙羽に分があるので残念ながら無駄な抵抗である。髙羽は布団を足下のほうに引いて、あっさりとまんじゅうを羽毛布団と羂索のふたつに分離させるとその顔をのぞきこんだ。
「ほら、やっぱり起きてるじゃん」
ぼさぼさの髪のあいだから陽射しの明るさとは正反対の重たげな目がのぞく。
「おはよう、羂ちゃん」
「おはよう、髙羽。おやすみ、髙羽」
「待て待て待て待て速攻でまた戻ろうとするな」
引かれた布団をもう一度引き寄せてまんじゅうに戻ろうとする羂索をすんでで止める。
「なぁ、今日は前々から大掃除だって決めてただろ。今日逃したら年明けどころか一月中にできるかどうかも怪しいんだからさっさと起きてちゃっちゃっとやっちゃおうぜ。そしたら二度寝だろうが、三度寝だろうがなんだってしていいからさ」
だからハリーアップ、と流暢さのかけらもないカタカナ英語で髙羽が言うと、羂索は一向に起き上がる気配のないまま寝起きの目をこちらに向けた。
「……知ってる、髙羽?」
「なにが?」
「今日が二週間ぶりのオフだってこと」
「知ってるよ。二週間ぶりのオフだってことも、年内最後のオフだってことも知ってる」
「だったら私がここにいる理由もわかるよね。今日はオフ。君が言った通り年内最後の。更に言うなら年末年始の繁忙期唯一のオフ。そんな貴重な休みを大掃除に使おうだなんて正気の沙汰とは思えないよ。確かにこれを逃したら、次の機会がいつになるかわからないね。それは私もわかってるよ。でも大掃除なんかしなくたって大晦日は来るし、正月も来る。部屋だって別に特筆して汚れてるわけじゃない。普段からそれなりに掃除はしているし、片づけだって適宜している。わざわざ貴重なオフを潰してまで大掃除をする必要性なんかどこにもないだろ。今年の汚れ今年の内に、なんて自社の利益を目的とした企業のキャッチコピーに踊らされるなんて馬鹿のやることだよ。師走の忙しない日々に必要のないタスクを詰め込んで体力気力の限界に挑む趣味は私にはないね。世の中には年末に美容室だとかトリミングサロンに駆け込む人がいるけど、ほんとあれ何の意味があるんだろう。年明けをきれいな状態で迎えないと地獄に落ちるとでも思ってるのかな。人は限られた生をもっと有意義に使うべきだと思うよ。少なくとも私はそうありたいと思ってる。だから大掃除はしない。君も私も今日はゆっくり休もう。さっきから言ってるけどせっかくの貴重なオフなんだ。今日の私たちの予定は明日以降の仕事に向けてしっかり休んで英気を養うか、ふたりで睦み合って英気を養うかのどっちかだよ。つまりこれからの私たちの居場所はベッドのうえ一択だ。というわけで今日私はここから動く気はない。あとはもう君がここに戻ってくればいいだけ。君がいなくなってからも布団は私がしっかりあたためておいたからね、さぁどうぞ、はいどうぞ」
「……毎回思うけど朝からよくそんなに口まわるよなぁ」
布団のすそを開けて、少し前まで髙羽がいたスペースをぽんぽんとたたく羂索に髙羽は感心したように言った。よくもまあ寝起きにそこまで澱みなく言葉が出てくるものである。立て板に水のごとく屁理屈をこね回されるとそれなりに説得力を持つから恐ろしい。
正直なところ、屁理屈とはいえ髙羽だって羂索の言うことも分からないではなかった。今日が貴重な休みだというのは事実だし、別に大掃除なんかしなくたって年は暮れるし新年は勝手にやって来る。だが残念ながら、こういう機会でもないとクローゼットの奥にしまってあるコントの小道具だったり衣装だったりが溜まっていく一方なのも事実だった。もうやらなくなったネタなんかもあるので、使わないものは処分しなければいけない。芸人一本で稼げるように早数年。それなりのマンションに引っ越して、以前とは比べ物にならないほどの収納スペースも手に入れたけれど、それにしたって限りがある。
髙羽だって何の口実もなしに大掃除に手を出すほどまめなわけではない。だから口実のある内に、やる気のある内に出来れば済ませておきたいのだ。それに大掃除といっても自分たちの大掃除は大したものではない。羂索の言った通り水場の掃除なんかは適宜しているのでその辺りは簡単に済むし、その内実はほとんどクローゼットの整理である。それほど時間は取られない。羂索がここまで駄々をこねるほどのことでもない。
じゃあなぜ羂索がこんな子どもみたいな駄々をこねているのかといえば答えはひとつしかなった。
「ねぇ、いつまでそこに立ってるの? 早く入ってくれないと寒いんだけど」
羂索が急かすようにもう一度ベッドをたたく。だが、催促するその手も、じれたように寄せられた眉根も無視して髙羽はベッドに腰かけた。
「はいはい羂ちゃんの言いたいことは分かったけど羂ちゃんが何を言ったところで俺は布団に戻らないし、大掃除終わるまではごろごろもしないし、羂ちゃんと睦み合いもしません。今日は大掃除。これはもう前から決めてた決定事項なの。そう思って俺、朝から張り切ってごはん作ったんだからな。朝から美味しいごはん食べれば羂ちゃんも大掃除がんばれるかな~って。面倒くさいけど、大掃除だって早くやればそのぶん早く終わるよ、な? だから早く起きよう。ほらほらちゅーしてあげるから」
そう言って顔を寄せて頬にぶちゅっとキスひとつ落とすと「……君、私がキスひとつで何でもすると思ってない?」と、恨めしげな瞳にじとりと見られた。
おざなりだ、私への怠慢を感じる、せめて口にするべきだ、こっちは睦み合いたいって言ってるんだから色気を込めて舌のひとつでも入れてもいいと思う、こんな子どもにするようなキスで満足するなんて思わないで欲しい、やって欲しいことがあるならそれ相応の対応があるはずだ、などとぶつくさぶつくさ言っている。
「でも羂ちゃんぐだぐだ文句垂れるくせにいつもちゃんとこれで起きるじゃん」
髙羽の言葉に羂索がぐぅと息を飲み込んだ。反論しようとあれこれ考える様子が何となく伝わってきたが、どうあがいても見つからなかったのか羂索はただこちらを恨みがましく見つめるだけだった。
羂索が子どもみたいな駄々をこねる理由。
結局は髙羽の言うとおりになるのにそれでも悪あがきをする理由。
誰よりも器用な男がする不器用な甘えは何とも愛おしい。
「さ、今日は羂ちゃんの好きな茄子の味噌汁にしたから、冷めないうちに起きて食べようぜ」
ぽんぽん、と羂索の頭をやさしくたたいて立ち上がると後ろから「…………味噌汁、たまご入りにしてくれたら起きる」なんてちいさなわがままが返ってきた。
「そう言うと思ったからもう入れてあるよ」
振り返った先のふてくされたような顔がかわいくて思わず笑う。
髙羽のそのこたえにいよいよ抵抗の術もなくなったらしく、羂索は大きくため息を吐くとベッドからのそのそと起き上がった。
わがままを言うのも構うのも睦み合いうち。
こうして今日も、ふたりの愛に溢れた一日がはじまっていく。
今日も今日とてばかっぷる羂髙
20241105