あるようでない男

 羂索というのはこんな男である。
 二十八歳である。お笑い芸人である。髙羽史彦という男とコンビを組んでおり、ポジションとしてはボケを担当している。お笑い芸人、というある種の色眼鏡を差し引いても優れた容姿をしており、モテ、非モテで人間を区別するのなら確実にモテ側の人間である。事実、その人となりを知らない(ないしは、人となりに重きをおいていない)女性たちからは大変モテていた。逆に言えば、人となりを知る女性からはその限りではない。しかしながら彼自身はそういったことには何ら頓着のない人間であった。おもしろいことが何よりも好きであり、人生の規範や人や物事の好悪の基準もそれがすべてで他人からの感情には一切の関心がなく、性格は良く言えば融通無碍、悪く言えば傍若無人。見目麗しく、知性に優れ、行動力があり、その才の行くところ可ならずはなく、おもしろいものを探しながら、試しながら、やりながら、彼は多少の退屈と戦いながらもそれなりに順風満帆に生きてきた。
 ──だが、それは今から数ヶ月前までの話。
 順風満帆という言葉など羂索にとって過去の栄光。今や遠い昔のお話。
 いま現在の羂索を表す言葉をあげるとするならばそれは苦心惨憺、悪戦苦闘、点滴穿石、磨斧作針──つまり、今の彼は泥くさい努力をこつこつと続けながら手を変え品を変え、逆風に逆らいつつ一つの目標に向かってちまちまと進んでいる最中なわけである。
 では、その目標とはなにか?
 それは相方であり、唯一無二の存在であり、数ヶ月前に遅ればせながら想いを自覚した相手である髙羽史彦に「羂索って恋人になったらいい彼氏になりそうだよな」と意識してもらうこと、であった。
 羂索だってなにも最初からこんな慎ましやかな目標を設置していたわけではない。
 できることなら一足飛びに行動を起こしたかったし、せめて恋愛対象として意識してもらうことから始めたかった。だが残念ながら相手は髙羽だった。恋愛対象として意識してもらう、というスタート地点に立つ前に飛び越えるべき高い高いハードルが待ち構えていたのである。
 想いを自覚した頃、まず手始めに──、とそれとなく君のこういうところが可愛いと思う、君のこういうところがとても好きだと思う、と羂索は好意を告げてみたりした。しかし悲しいかな、何度回数を重ねても髙羽の反応は芳しくなかったのである。羂索がどれだけ言葉を尽くしたところで髙羽は戸惑いながら「……お、おお? あ、ありがとう」と言うばかりで、羂索の好意に気づく様子など全くない。
 これで戸惑いの中に少しでも照れや恥ずかしさが滲んでいれば、羂索も手の打ちようがあったのだが、そんなものは微塵もなかった。告げた想いに対する何かしらの返答があるだけ、かぐや姫に求婚する公達たちのほうが自分よりまだ脈ありに見える有り様である。
 確かに相手は髙羽なのだから、よくよく考えればこの反応もやむ無しと言えばやむ無しではあった。過去の話や羂索が目にしてきた様子を見るかぎり、髙羽はどう考えても恋愛経験値が低い。なおかつ、自己肯定感も低く自分が誰かの恋愛対象になるという意識がまるでない。
 髙羽の鈍さと日々暗闘しながら、羂索は考えた。
 このままではいつまで経っても自分の想いは伝わらなさそうだし、恋愛対象としても意識してもらえそうにない。ならばまずは己の恋人としての有為性をアピールし、自分が如何に理想的な恋人になりうる存在か、ということから伝えよう。羂索はそう考えた。
 こうして、羂索の慎ましすぎる努力が開始されたわけである。
 目標を定めた羂索は、日々己の有為性を間接的に、時には直接的に髙羽に伝え続けた。
 仕事の面では言うに及ばず、私的な面でも羂索は数々の努力を重ねていったのである。
 以前にも増して褒めるべきところは褒め、好ましいところは好ましいと声に出すようにし、もちろん褒めるばかりではなく、改善するべきところがあればしっかりとダメ出しも行う。いくら好きな相手とはいえすべてを全肯定するわけにはいかない。相手を思えばこそ、出来る恋人であればこそ、その駄目なところを見据えながらしっかり是正していくものである。
 身体を張る仕事が多い上に、半裸の衣装を高い頻度で着ているせいで生傷がそれなりに多い髙羽のために絆創膏や消毒液を常に携帯し、いつでも手当できるように備え、またいつまで経っても上手くスーツのネクタイを結べない髙羽のそれをさっと結んでやったりもした。その際さりげなく身体に触れるのも忘れない。
 有為性を伝えるのが第一とはいえ、最終的な目標は髙羽に恋愛対象として見てもらうことであり、髙羽の恋人になることである。身体に触れることで意識的にでも無意識的にでも、羂索のことを恋愛対象として意識してくれれば言うことはない。第一目標達成の過程で最終目標を見据えて行動するのは実に効率的な行動といえる。こういったささやかな行動が未来の自分を左右するのだ。
 またそれだけではなく衣食住の二つの面での有為性を伝えるために、仕事終わりや休日には自宅に誘い、髙羽の好きな料理などでもてなしたりもした。もてなしの際は髙羽が気兼ねなく来れるよう、懸賞でいい肉が当たったとか酒が当たったとかの口実を必ずでっち上げた。変に気を遣われて遠慮されたら元も子もない。よくよく冷静になって考えてみると週に一、二回は懸賞に当たっている計算になったが、まあ目標達成の前には些細な問題だろう。「また当たったの!? すげぇ豪運」とか「オマエ、最近懸賞に凝ってるの?」と誘うたびに言われたりもしたけれど、髙羽が気兼ねなく自宅に来れればそれでいいのである。
 また飲み会や打ち上げの場なども有為性アピールのチャンスであった。
 つかず離れず髙羽の隣を維持し、大皿の中からさりげなく髙羽の好きなものを取り分けてやり、髙羽が対応に困っているような輩や邪な思いを胸に近づく輩がいれば素早く間に入ってやる。
 二人で参加する飲み会なり打ち上げなりは、羂索としても自分の有為性を伝えるいい場だとは思っているのだけれど、問題は髙羽だけが誘われたときである。
 それなりに売れだし交友関係も広くなった髙羽は最近、ひとりで食事や飲み会に誘われることも多くなった。ピンチャンとして二人一緒に誘われることももちろんあるのだが、羂索含めて誘いたいと思う人物はなかなか稀少である。別に羂索は誰に食事に誘われようが誘われなかろうがどうでもいい。一目置いている人物などからの誘いはともかく、そんなものは早々ない。これは誘いがないのではなく、羂索が一目置いている人物が早々いない、という意味である。
 なので、だいたい髙羽のみが誘われることになるわけであるが、そうなると少し話は変わってくる。羂索としても、出来た彼氏というものはどんと構えて恋人には好きなようにさせるべきである、とは思うけれども、一緒に参加している飲み会の様子を見る限りどんと構えられるわけがない。危なっかしいにもほどがある。
 なので、必然として誰に誘われたのか、場所はどこか、参加者は何人か(もちろん、二人っきりだったら問答無用で却下である)、どんな人物がそこにいるのか等々を事細かに聞き出し、最終的にやっぱり一人では行かせられないという結論になるわけである。つまり、羂索も同伴することになるわけだ。参加者が三人以上の場合行くのを止めないだけ、人間が出来ていると思って頂きたい。
 そんなことを羂索はこの数ヶ月こつこつこつこつこつこつこつこつ繰り返した。進んでいるのかいないのか、目標までの距離はどれくらいか、目算が一切つかぬまま過ごす日々は羂索としても辛かった。でも、きっとこの先に明るい未来があると信じて羂索は歩み続けた。
 ──そして、そんな努力の日々が続いたある日。
 今日も今日とて、懸賞で当たった酒の肴を口実に髙羽を誘い、手料理でもてなした後のリビング。ローテーブルを挟みながらネタ作りに勤しんでいたときのことである。
 ネタ作りをはじめて数時間、ひと通り二人で話し合ったネタの方向性が決まり、今は髙羽がネタ帳に流れをまとめている。ノートに走る文字を見ながら何とはなしに羂索が視線を脇にやると、髙羽のマグカップの中身が空になっていた。
「髙羽」
「ん?」
「マグカップ空だけどおかわりいる? 飲むなら新しく淹れるけど」
「お? おおー、じゃあお願いします」
 その声にマグカップを持って立ち上がりながら、ふと思い立ち「あと小腹空いたならおやつもあるよ。この前、君がロケで美味しいって言ってた辛子れんこんチップス」と言うと「食べる!」と元気のよい答えが返ってきた。その返事に「じゃあコーヒーよりもお茶のほうがいいかな」などと思いつつキッチンへ向かうと、不意に「羂索ってさ──」という声が聞こえた。
 その声の響きにいつもと違うものを感じ、羂索の胸は知らずそわりとざわめいた。
 振り返ればそこには、なんだか照れくさそうにこちらを見る髙羽がいる。
 ──来た。
 とうとうこの時が来たのだ。
 羂索が地道に種を蒔き続けた結果がよくやくここに実ろうとしていた。
 やっと髙羽の鈍い頭にも意識付けがされたのだ。髙羽の彼氏の地位を得るため、髙羽に「羂索って恋人になったらいい彼氏になりそうだよな」と、思われるための布石の数々。ここまで手を尽くし、心を尽くし、髙羽のためを思いあれこれ行動した結果がいまここに。さぁさぁ、さっさと言うがいいよ。よく出来た彼氏とは私のこと。令和のスパダリが私。髙羽の恋人として私以上にふさわしい人間なんているわけがない。もったいぶらずストレートに。言葉を選ばず。待ち望んでいたその言葉を、惜しむことなく今すぐに。さぁさぁさぁさ、
「──おかあさんみたいだよな」
「~~~~っあのさぁ!!!!」
 よりによっておかあさんってどういうこと……!? 私の努力を何だと思ってるの! せめておかあさんじゃなくておとうさんでしょ!? 私は君のおかあさんじゃなくて彼氏になりたいの恋人になりたいの! そのためにずっと努力してたっていうのに君って男はさぁっ……!!
 と、あまりにも予想外な言葉にこの数ヶ月の秘めた努力を髙羽のみならず自分でもぶち壊し、最終的に怒りと悔しさで涙を滲ませながらド直球に告白することになったわけであるが、なんだかんだこの七日後に無事髙羽の恋人の地位を得られたのだからまあこれも必要な努力ではあったのだろう。


(スパダリ力が)あるようでない男、羂索

20241021