今から思えば恋人になる前からその片鱗はあったのだろうな、と髙羽は思う。
髙羽自身ですら自覚していない微熱にいち早く気づいたり、楽屋弁当が二種類あったら先に選ばせてくれたり、ひとりはやだなと思う夜に髙羽が何も言わずとも朝までそばにいてくれたり。
だから、有り得るか有り得ないかでいえば確かに有り得る話だったのだ。まったく想像はしていなかったけれど。予想外もいいところだったけれど。毎日おどろきと気恥ずかしさの連続だけど。
なんの話かと言えば、恋人になった羂索の甘やかしがすごい、という話である。
羂索と髙羽が恋人になって早二ヶ月。髙羽はこの二ヶ月の間、羂索から日々溺れそうなほどの甘やかしを受けていた。
恋人になった羂索はすごかった。髙羽の少ない語彙力でどう表せばいいのか分からないほどすごかった。相方時代にさえそこかしこに滲み出ていた髙羽への甘やかしが、恋人になったことで間欠泉の如くもわもわぶしゃーっと噴き出ていた。
髙羽は羂索の諸々の行為を思い返すたびに、深窓の令嬢だってこんな扱いは受けてないのじゃないかと心の底から思った。
羂索の恋人になってからのこの二ヶ月というもの、髙羽があれがしたいなこれがしたいなと思ったときにその準備が整えられているのは当たり前で(具体的には、羂索と一緒に行ってみたいなと思っていたテーマパークのチケットが髙羽が二人の予定を確認しようとしたときにはもう既に羂索の手のなかにあったり、新発売の対戦ゲームやパーティゲームのCMを見て二人でいっしょにやるの面白そうだな、と思ったときには羂索の部屋にもうそれが用意されていたり)、それだけに留まらず二人で髙羽のおんぼろアパートに帰れば階段をのぼるときにはエスコートするみたいに羂索が手を握ってくるし、一緒に買い物に行けばいつの間にか羂索が重いほうの袋を持っているし、なんとなくちゅーしたいなぁと思ったときには「ちゅーしたい」のちゅ、の時点で羂索にキスされてるし、共寝をした翌日は耳がぞわぞわするようなくすぐったくなるような何とも言えない声でやさしく起こされるしで、その甘やかしムーブは枚挙にいとまがなかった。
階段のエスコートの件に関しては一度、雨の日に足を滑らせかけたことがあったからかもしれないけれど、それにしたってこの甘やかしっぷりはどうか。髙羽が深窓の令嬢という己とは一生縁がなさそうな例えを出したのにも少しは納得ができるというものだろう。深窓の令嬢は家族や執事から口におはようのちゅーなんかされたりしないと思うけれど。
だが、これだってまだまだ序の口だ。
髙羽のアパートや出先で施される羂索の甘やかしなんてそれこそまだまだ甘いものなのだ。本番は羂索のマンションに髙羽が行ったときである。自分のテリトリーに髙羽が入ってきたのをこれ幸いと言わんばかりに、甘やかしに際限がなくなるのだ。
髙羽が以前ロケ先で心から美味しいと思った取り寄せ必須のお酒や食べ物が来訪までの間に冷蔵庫に並んでいることから始まり、一緒にお風呂に入れば頭を洗われ、お風呂上がりには髪まで丁寧に乾かされる。髙羽が買ったことも使ったこともないようないい匂いのするシャンプーやトリートメントは、それこそ髙羽が身に受けたこともない補修効果や保湿効果があるらしく、羂索の部屋に行くたび髙羽の髪はつやつやぴかぴかさらさらになっていく。最近ではシャンプーやトリートメントだけではなく、ヘッドスクラブまで用意されるようになって時折頭皮マッサージも施されるようになった。加齢臭が気になるお年頃なので大変ありがたいけれど、風呂場でのこの甘やかしがどこまで行くのかと思うとちょっとこわくなる。そのうち身体まで洗うとか言い出しそうだし。
ちなみに、髙羽が長年自身で行ってきた体毛の処理を羂索がやることについては既に丁重にお断り済みである。
付き合って早々、当然の顔をしてカミソリ片手に髙羽のところにやってきた羂索のそれを止めるのは至難の業だったが、髙羽はなんとかその偉業をやり遂げた。いくら相手が恋人とはいえ、甘やかし行動(正直、甘やかしかどうか判断に窮するところだが)のひとつとはいえ、人間どうやったって譲れない一線というものがある。剃るところが剃るところだし、これを許可したらそれはもう甘やかしじゃなくて一種のプレイだ。髙羽だって高頻度で羞恥心の限界を試されるような真似はしたくない。
だからその判断は間違ってなかったと髙羽は今でも思う。思うけど、じゃあその代わり、といって諸々の処理のあとにボディクリームを塗られるようになったのは果たして良いことなのか、悪いことなのか。
剃毛プレイよりはマシなのかもしれないが、居た堪れなさに関してはこちらもあまり変わりがない気がする。指先から腕のつけ根、つま先から太ももまで余すところなく触れられ、やたらいい匂いのクリームを丁寧に丁寧に塗り込められていく気恥ずかしさと居た堪れなさは筆舌に尽くしがたいものがある。
羂索の知らない傷がついてないか、髙羽自身がぞんざいに扱っていないか、つぶさに確認するその手つきと目つきは、人生をその道に捧げた職人のようだ。羂索のあまりにも真摯で真剣な表情に、仕事中でも見たことねぇよそんな顔、と突っ込むことすらできやしない。
居た堪れなくて、気恥ずかしくて、でも決して嫌じゃない時間が終わったらリビングでくっつきながらくつろいだり、ふたりでネタ作りに勤しんだり。これだけべたべたに甘やかしても、髙羽がちょっとでも半端なネタを作ろうものなら羂索はすぐさま横から鋭い弁舌を飛ばしてくる。おかげで髙羽はちっとも油断できない。油断できないけど、そんなところが好きだと思う。だから相方になったのだし、ただの相方じゃいられなくなったのだ。
そんなこんなで夜も深まり寝室に移動すれば、そこでも羂索が用意した最高に寝心地のいいベッドが髙羽を待っている。
布団は言わずもがなふわふわふかふかだし、マットレスは固すぎないし、かといって柔らかすぎもしないし、広さは平均身長を越える男がふたりで横になってもちょっと余るくらいだった。「もっと広くもできたけど、君と寝るんだからこの大きさがベスト」とは羂索の弁である。羂索的にこの〝ちょっと余る〟ほどの広さが購入の決め手だったらしい。
「広すぎると寝てる間に離れちゃうかもしれないし、せっかく一緒に寝るのにそんなのもったいなさすぎるでしょ」、と言われてそのときは確かに! と髙羽も思ったのだけれど、寝るときはいつも羂索が髙羽を後ろから抱きしめて寝るから離れようにも離れられない。離れすぎず、窮屈すぎずを求めて決めたこのこだわりの広さに意味はあったのだろうか? と、髙羽はときたま思う。羂索がベッドの広さを無駄にするおかげで髙羽の背中はいつでもぽかぽかあたたかくて、髙羽はもう独り寝の寂しさと寒さを思い出せなくなってしまった。
甘やかされてるな、と思う。大切にされてるな、と思う。三十五歳のおっさんが。二人きりの部屋で誰が見るわけでもないし、自分と羂索ふたりのことに第三者の視線なんて考える必要もないけど、身に余る扱いに髙羽はいつもなんて言っていいのか分からなくなってしまう。
髙羽だってこんなに甘やかされていいのだろうか、とは常々思っているのだ。羂索めんどくさくないのかな、と思うし、無理させてないのかな、とも思う。それとなく羂索の甘やかしを回避しようとしたりすることもあるのだけれど、髙羽がなにをしようとしたところで羂索の先を行けるわけもない。いつだって上手く言いくるめられて、いつの間にかまたころりと甘やかされてしまっている。
流れるように自分を甘やかす羂索を見て、スパダリってこういうことを言うんじゃないかと最近の髙羽は思い始めていた。
持ち前の観察力と洞察力と行動力を恋人に全振りすると少女マンガから出てきたような男が出来上がるのか、と羂索のスパダリっぷりに髙羽は日々感嘆するばかりである。羂索の顔ファンだって彼のこの一面を知れば、外見だけでなく外見と中身すべてのファンになってくれるに違いない。羂索は別にそんなもの望んではいないだろうけれど。
それにしても羂索って今まで付き合った恋人みんなにこうだったのだろうか。こうして付き合うようになるまでは知らなかったけど、意外と恋人には尽くすタイプなのかもしれない。
ふと浮かんだ疑問をそのまま羂索にぶつけてみれば「そんなことあるわけないでしょ」と、呆れまじりの声で言われた。
「そもそも誰かとちゃんと付き合うなんて君が初めてだし、たとえ過去にいたとしても絶対にこんなことはしてないよ。私、別に尽くすタイプじゃないし」
「じゃあなんで俺にはこうなのよ?」
言ってることとやってることが一致してなくない? と訊くと、羂索はなんともあっさり答えを返してきた。
「そんなの君が好きだからでしょ。君が好きだから、かわいいから、愛しちゃってるから、構い倒したいし甘やかしたいの。それ以外になんの理由があると思ったんだよ君は」
「……さいですか」
てらいも何もないド直球の答えに勝手に頬が熱くなる。羂索の言葉に胸を撃ち抜かれてそれ以上言葉が出てこない。五文字とはいえ何かしら言葉を返せただけでも褒めて欲しい、と髙羽は思った。また羂索に甘やかされてしまった。
なんで羂索はこんな息を吐くように人を甘やかせるんだろう。本音で話して、本音で行動して、やりたいことをやりながら人をでろでろに甘やかすのだから本当にずるいと思う。自分でもなにがずるいのかよく分かんないけどとにかくずるいと思う。髙羽だってすこしは羂索を甘やかしてみたいのに、羂索にはその隙が全然ない。ちょっとはこっちが甘やかす余地を残して欲しい。隙と余地があったところで羂索みたい上手くはできないかもしれないけれど。いやでも俺だって少しくらいは──と、どこまでも続くスパダリムーブに髙羽が視線をまごつかせながらそんなことを考えていると「まぁ打算がないとは言わないけど」と到底スパダリが言わなそうな言葉が聞こえてきた。
「もちろん、君が好きだからやってるって言葉に嘘はないよ」戻した視線の先にいた羂索が笑みを浮かべながら、ふわふわと浮き立つように言う。
「嘘はないけど、これで君が『羂索なしじゃ生きられない……♡』って思うようになってくれれば最高だなぁって」
「……それ本人に言うのはどうなのよ」
邪気しかない言葉を無邪気に言う羂索に漂いはじめていたほわほわした空気が呆気なく霧散した。そんな空気の変化など気にもしていないのか羂索はいい顔で笑うばかりである。
そうだよな、こういうやつだよな。知ってたけど。それでこそ羂索と思うけど。ぜんぶがぜんぶ君のため、と言われるよりは髙羽も心が軽いけど。それでも自分が作った空気をもうちょっと丁寧に扱ってもいいんじゃないかとは思う。そんな羂索は羂索じゃないかもしれないが。
「すげぇいいこと言ってたのに、そういうところが羂ちゃんだよなぁ」
「お褒めにあずかり光栄だね」
「いや、褒めたつもりはなかったんだけど…………。まぁいいか、良くも悪くも羂ちゃんのそういう正直なところ俺好きだし」
髙羽のその言葉に羂索がむふん、とますます笑みを深くする。好き、の言葉がうれしかったらしい。
胡散臭いとかひねくれてるとか他人には思われがちだけど、羂索のこういうところは素直でかわいいなと思う。こういう羂索の一面を知ってるのも自分だけかと思うと、なんだか誇らしいようなくすぐったいような気持ちでいっぱいになる。
羂索がうれしそうで、自分だってそれが嫌じゃないんだからそれでいいじゃないか、と髙羽は思った。たぶんこういうところが羂索にちょろい、とか単純とか思われてるんだろうとは思うけど、それも含めてまぁいいかの気持ちだった。
それにしても、
「羂ちゃんいつもは鋭いくせに、たまにすげぇ鈍くなるのなんでなんだろうな」
髙羽の疑問のような独り言のようなそれに羂索の笑顔がぴしり、と凍った。
「…………ちょっと、それどういう意味? 鈍いってよりによって君が言う? ほかの誰に言われても君にだけは言われたくないんだけど」
さっきまでの笑みを掻き消して、眉を寄せながら羂索が詰め寄ってくる。だが、いくら詰め寄られたところで事実は事実だ。
心外だと言わんばかりに、目の前でとげとげとした空気を発する羂索に髙羽は言う。
「だって、羂ちゃんなしじゃ生きられなくなればいいなんて、そんなこと言われてもさ」
──そんなの、もうずっと前からなってるよ。
とげとげが羂索ごと固まって、ぽとりとそのまま床に落ちた。
診断メーカーの140文字SSのお題「これ以上甘やかして、どうするの」から出来た話でした(文字数ぶっちぎり)
20240903