ろくでなしのうた

 羂索は陽だまりに浸かったような心地に満たされながらゆるゆると瞬いた。
 まだ寝起きではっきりとしない頭を掻きながらのそりと上半身だけを起き上がらせる。
 ──なんだか、すごくいい夢を見た気がする。
 いい夢、という朧げな感触は残っているものの、それがどんなものだったのかは目覚めてしまった今となっては判然としない。
 ただ、いい夢だった。
 夢見がいいおかげかなんだか心ばかりでなく身体もすっきりしている。溜まっていた澱がなくなったような感覚だった。
 寝室のカーテンの隙間から入ってくる陽射しは明るく、気持ちのいいくらいの晴天だ。ただ陽射しの強さを見る限り時間帯はとっくに朝を過ぎて昼を迎えているように思えた。
 寝起きの頭でそんなことをぼーっと考えながら、ベッドサイドに置いてあったスマホを取る。今の時刻を確認するために画面をタップすると現在時刻とともに髙羽からのメッセージが通知に表示されていた。
 
『ごめん、バイト先から連絡があって朝イチのシフトに入ることになったから帰る。合鍵勝手に借りちゃったけど次会ったときに返すから』
 
 髙羽からのそのメッセージを読んで羂索は漸う昨日のことを思い出した。
 昨日は羂索の部屋で髙羽と二人で飲み会をしたのだ。
 一ヶ月ほど前に先輩芸人が流行病にかかり、急遽その代打で羂索たちピンチャンが生放送の特番に出ることになった。代打とはいえ、ひな壇芸人の中でもそれなりに目立つ結果を残すことになり、羂索たちとしても手応えを感じた仕事だった。その手応えは間違いではなく、その特番からじわじわと仕事が増え始めた。まだまだ売り出し中であることには違いないし、髙羽だってまだバイト戦士と芸人の二足の草鞋を履いている。けれども、羂索たちは確実に芸人として芽が出始めていた。
 以前よりスケジュールを埋めるようになった仕事をこなしていると一ヶ月はあっという間に過ぎた。そんな折に羂索たちが代打をつとめた先輩芸人から連絡があったのだ。やっと体調が万全に回復して、仕事にも復帰し、一時休業からばたついていた環境も落ち着いたらしい。
 ──この前は迷惑かけたな、すげぇ助かったよ。それで、遅くなって悪いんだけどこれ昨日行ったロケで買ってきてさ、
 羂索たちの楽屋に来た先輩はそう言ってロケ先の酒造で買ったのだという泡盛数本と、その酒に合いそうなそれなりに値の張ったつまみが入った袋を羂索たちに渡した。
 ──俺の主観だけど試飲して特に美味かったやつ選んだから。この前の礼と思って遠慮なく受け取ってくれ。
 病後の慌ただしさが落ち着いたとはいえ第一線で活躍し、スケジュールが詰まっている先輩は挨拶もそこそこに去っていった。
 ぱたんと締まったドアを見ながら羂索は、そういえば明日は二人ともオフだったな、と思った。
 スケジュールがびっしり埋まっているなんてことは未だないけれど、以前より忙しくなったこともあり二人でゆっくり酒を飲むなんてことはしばらくしていなかった。髙羽のバイトもないし、自分にも特に何かしなければならない予定もない。だったら、と髙羽の方を見ると、同じことを考えていたらしい相方が浮き立つような空気を纏わせて言った。
「久しぶりにしちゃう?」
「しちゃうか」

 その日の仕事場からは羂索のマンションの方が近かったので、飲み会の場所は羂索のマンションになった。二人とも普段は泡盛なんて飲まないから、一応飲み慣れた缶ビールや缶チューハイ、追加のつまみなども買って帰路につく。
 仕事が早めに終わったのもあり、羂索のマンションについた時間は夜というよりまだ夕方だった。最近はそれなりに忙しかったし、たまにはこんな日もいいだろう。今日も一日お疲れ様の労いとようやく芸人として軌道に乗ってきた祝いも兼ねて、そうして二人はささやかに乾杯をした。
 先輩がくれた酒は確かに美味かった。正直なところ、日本酒や焼酎を飲むことはあっても、泡盛を飲んだことはなかった羂索だったが、これなら取り寄せてまた飲んでみてもいいな、と思えるくらいには美味かった。泡盛自体が羂索の舌に合うのか、それともその酒造の味が羂索に合っているのかは分からないけれど、おかげで杯はどんどん進んだ。
 美味いね、これ。俺、泡盛って初めて飲んだ。あ、髙羽もそうなんだ。だっていつもビールとかだし、そもそも瓶の酒買うって発想がない。瓶酒へのそのよく分かんない高級品思考なんなの、今どきワインだって千いくらで買える美味しいやつがあるのに。それはそうなんだけど、しみついた貧乏人根性と缶ビールへの信頼感がさー。
 そんなとりとめのない話しながら二人の夜は更けていった。
 飲んでいる酒のせいか、軌道に乗り始めた仕事のせいか、それとも目の前の髙羽が酒精で顔を赤らめながらふわふわと笑っているせいか、羂索はらしくもなくしあわせな気分だった。どれかひとつじゃなくてたぶん全部がしあわせな気分の理由なのだろうけれど、でもきっとその内訳は大きく偏っているに違いない。自分でもよく分かっている。理由の九割は髙羽だ。
 目の前で好きな人がゆるゆるふわふわと笑っていたら羂索だってしあわせな気分くらいにはなる。まだ気持ちは伝えられていないけれど。虎視眈々とその機会を伺っている最中ではあるけれど。まだまだ相方のポジションに甘んじてはいるけれど。ゆくゆくは相方兼恋人のポジションを得るために今は恋心を秘している最中なのだ。だって変に警戒されたら元も子もないし。
 だから、相方の距離感で昨夜はたっぷり可愛い髙羽を堪能した。アルコールが入ると髙羽はいつもよりもっと可愛くなるのだ。赤らんだゆるゆるふわふわの表情もだけど、いつもより口調が幼くなるのも可愛いし、やたら羂索にくっつきたがるのも可愛い。つまみを差し出すと、しどけなく口元を緩ませてもぐもぐと羂索の手ずから幸せそうにつまみを食べる可愛さは、羂索をもってしても筆舌に尽くせないほどだった。
 そうしてゆるゆるふわふわふにゃふにゃの髙羽が寝落ちするように潰れて、その顔を見ながら隣で雑魚寝するのが飲み会のときの羂索のちいさな楽しみのひとつだった。
 と、そこまで考えてはた、と気づいた。
 ──そういえば、なんでベッドで寝てるんだ?
 いつもの流れだったら自分はリビングでそのまま雑魚寝しているはずだ。それは飲み会の場所が羂索の部屋のときも、髙羽の部屋のときも変わらない。髙羽の狭い部屋にリビングなんてものはないが、どちらにせよその場で布団も引かずに寝るのが常である。わざわざベッドに行ったりすることなんて今まで一度足りともなかった。
 というか、そもそも自分はいつ寝たのだろう。よくよく考えたら昨夜の途中からすっぽり記憶が抜けている。もらった泡盛が口に合ったのもあり、酔った髙羽を肴にかなりの数の杯を重ねていた覚えはあるが、それだけだ。髙羽が寝落ちするようなところを見た覚えもなければ、自分の足でベッドに行った覚えもない。珍しく髙羽より先に自分が落ちたのだろうか。
 途中からきれいに記憶がないせいで昨夜のことがさっぱり分からない。これは羂索にとって初めての経験だった。アルコールにはそれなりに耐性があるから、悪酔いしたことも、酔いつぶれたこともなかった。ましてや、記憶を無くすなど。
 持っていたスマホに目を落とす。いくら記憶を無くすほど酔ったとはいえ、自分のことだからそんなにひどい醜態は晒していないと思うが、一応確認だけはしておくか、と羂索は思った。あとそこまで酔った自分がどんな行動をしたのか少しだけ興味もあった。羂索の知的好奇心は他人だけではなく自分にも適用されるのだ。記憶のない自分などある意味他人にも等しいし、そういった意味では中々貴重な機会ではあった。
 メッセージアプリの通話ボタンを押す。時刻は昼過ぎ。朝イチのシフトなら昼休憩か、もしくはバイト自体がもう終わっているだろう。
 羂索の予想は正しく、コール音が一つ鳴るか鳴らないかのうちに通話が繋がった。だが、繋がってすぐ聞こえたのはやたら焦ったような声とゴンッ、とおそらくスマホを落としただろう音で、わたわたと慌てたような様子がスマホの向こうから伝わってくる。しばらくそのまま待っているとようやく「け、羂索……?」とちいさくこちらを伺う髙羽の声が聞こえた。
「おはよう、髙羽。なんか慌ただしかったけど、大丈夫?」
「だ、大丈夫……っ」
「休憩中? それとももうバイト終わったの?」
「え、あ……っ、その……や、休んだ子の代わりだったから、もう終わった……っ」
 確かによくよく耳を澄ますとスマホ越しにテレビの音が聞こえてくる。髙羽の言う通りバイトを終えて、もう自宅に戻っているのだろう。タイミングが良かった。帰っている最中だったらコール音に気づかなかったかもしれない。そんなことを思いながら羂索が話に入ろうとすると、それよりも前に「あ、あのな……っ」と、つかえながら髙羽が口を開いた。
「け、羂索、その……昨日のことだけど──」
「あ、そうなんだよ。そのことなんだけどさ、私途中から昨日のこと全然記憶になくて」
「え……っ」
 髙羽が驚いたようにちいさく声を落とした。まぁ驚くよな、と思う。自分でも驚いたくらいだし。とはいえ世の中にない話ではないし、そこまで深刻になる話でもないはずだ。羂索は髙羽のその驚きをさらりと流して話を続けた。
「けんじゃくけんじゃく~って君が私になついてたのはもちろん覚えてるし、馬鹿みたいにふにゃふにゃ笑いながら私の手からチータラ食べてたのも覚えてるからそこは安心して。でもそれくらいでさぁ、いつ寝たのかとかいつベッドに行ったのかとかまったく覚えてないんだよね」
「そ、そうなんだ」
「酒で記憶失くすとかどんな飲み方してたらそうなるんだよって今までは思ってたけど、案外簡単になるもんなんだね。二日酔いもないしやたらすっきりしてるから昨日飲んだお酒との相性自体は悪くなかったと思うんだけど」
「へ、へぇ~……」
「でさ、本題なんだけど昨日の私ってどうだった?」
「ど、どうだったって、何が……?」
「そこまで酔ったことってなかったからどんな行動してたかなって。流石に記憶なくしたのは初めてだったし、そういうときに自分がどんな行動してたのかちょっと興味があるんだけど。万が一変な酔い方してたら今後の飲み方も考えなきゃだし」
「えっ、あ、い、いや……! ぜんぜん! ぜんぜんいつも通りだったぜ! 一瞬で寝落ちしただけ! 突然テーブルに倒れ込んだからびっくりしたけど、もうあとは全部いつも通り! な、なんも変なことなかったし、オマエをベッドに連れて行くのがちょっと大変だったくらいで……」
「なんだ、そんな変な酔い方はしてないとは思ったけど、それにしてもつまらない酔い方だなぁ。自分のこととはいえ、もうちょっとネタになるようなことでもしてれば面白みもあるのに」
「ひ、人に迷惑かけねぇのが一番だろ。なにも問題なかったんだから良かったじゃん……」
「まぁ、それはそうだけどさぁ」
 そう言いながら羂索が声に不満を滲ませていると「え、えっと…………あっ羂索、ネタと言えば明後日のネタのことなんだけどな──」と髙羽は今度の収録の話に話題を変えた。そこからネタの変更点や流れの確認が始まり、昨夜の出来事に話が戻ることはなかった。
 違和感といえば既にこの時点でそこかしこに違和感はあったのだ。
 ただ羂索自身は気づいていなかった。なんだかんだ言っても記憶を失くすまで飲んだその翌日で、まだ起きてからそう経っていない時間の話である。頭痛もなく身体もすっきりしていたとしても、いつものようにはっきりと頭が動いていたわけではなかった。
 あとから覚えた違和感がこの時点で始まっていたことに羂索が気づいたのは、全てが解決したあとのことだった。

 ──というわけで、数日後のことである。
 髙羽がおかしい。
 いや、おかしいというのは語弊があった。たぶん、全体的に見れば髙羽の様子は九割はいつも通りだ。来た仕事は全力でこなし、ネタがウケる打率はいつもと同じかそれよりも少しいい程度。MCの突然のフリに戸惑い、あたふたしているところを羂索に助けられるのもいつも通りだ。
 じゃあ、何がおかしいかといえば羂索に対してだけおかしいのだ。一言で言えばなんだかぎこちない。羂索とのパーソナルスペースが以前より明らかに広くなり、不意に声をかけたりすると過剰に驚いたりもする。二人で楽屋にいるときもなんだかそわそわして落ち着かないような空気が出ているし、どう見たっていつも通りとは言えない様子だ。
 なぜ髙羽が突然こんな状態に陥ってしまったのか、理由はまったく分からない。羂索には心当たりもないし、自分が何かしでかした覚えもない。
 だが、理由は分からなくとも、髙羽がどんなときに自分相手にこんな態度にとるのかということを羂索は知っていた。
 髙羽がこんな風におかしくなるのは大体が羂索に何か隠しごとをしているときだ。以前、羂索に隠れて勝手にピンの仕事を受けたときもそうだったし、髙羽が仕掛け人になったドッキリ企画のときもそうだった。ちなみに、ドッキリは髙羽があまりにも仕掛け人に向いてなかったせいで最終的に羂索が仕掛け人になる逆ドッキリの形になった。まあ、あれはあれで楽しい仕事だったけれども。久しく見ていなかった髙羽のべちょべちょの泣き顔が見れたのも良かったし、髙羽から「お゛れと゛す゛っ゛と゛い゛っ゛し゛ょ゛に゛い゛て゛く゛た゛さ゛い゛っ゛……!」の言葉が引き出せたのも良かった。──いや、その話は今はどうでもいい。いま重要なのはそれらの時のように髙羽の態度がおかしいことだ。
 経験則で髙羽が隠しごとをしているのはほぼ確定だと思うのだが、問題はなにを隠しているかだった。
 以前あれだけ羂索に淡々と詰められてピンの仕事はもう受けませんと誓約を立てたのだから、その線はないはずだ。ドッキリに関しても髙羽が仕掛け人になることは制作側も無理だと分かっただろうから、それもない。そもそもしばらく前から仕事やスケジュールに関しては髙羽よりも先に羂索の元にマネージャーから話が来るようになっているので、仕事に関して髙羽が隠しごとを出来るような余地は全くない。
 ならば残りはプライベートに関するなにかなのだが、何度考えを巡らせても羂索の頭にはなにも浮かんでこなかった。それはそうだ。だって、ほぼ四六時中髙羽と一緒にいるのだから彼の周囲で何かがあれば自分がまず第一に気づく。あるとすれば、バイトに関してだろうか。流石に羂索だって髙羽のバイト先にいつも押しかけたりはしていないので、そこで起きたすべてを把握することは出来ない。まあ、まったく髙羽のバイト先に行っていないとは言わないけれど。シフトもその時間帯だれと一緒に働いているのかも常に把握しているけれども。とはいえバイト中は目を離しているのは事実だ。だから何かあるとすればそこくらいしかないのだが、髙羽のバイト先は今どき珍しいくらい店長の人柄も、同僚たちの仲も良く、過度な時間外労働等もない。労働環境として恵まれているほうだ。髙羽の口からもそんな話をよく聞いたし、客に対する愚痴などはあっても職場に対しての愚痴や不満は聞いたことはなかった。
 となると、客からなにか言われたりされたりしたのだろうか。これは髙羽の周囲全体に言えることだが、髙羽は変な熱量の人物を惹きつけやすい。ストーカー一歩手前みたいなファンを羂索は何人も見かけたし、的はずれな指摘でネタをねちねちと酷評しては涙目になる髙羽を見て愉悦に浸るような業界人だっていた。ちなみにそういう人物たちは例外なく髙羽の預かり知らぬところで髙羽の周囲から姿を消しているのだが、その話は余談といえば余談である。
 しかし、そうなると羂索がいくら考えたところで問題は解決しない。まずは該当の人物を探し出すことから始めなければいけないし、そもそもそんな人物がいるのかも確かめなければいけない。だが、探し出すにしても確かめるにしてもそれなりに時間がかかる。羂索だって秒で処せるわけではないのだ。その上、髙羽の態度の原因が本当にそれかどうかも分からないのだから、すべてが無駄に終わる可能性もあった。どう考えてもタイムパフォーマンスが悪すぎる。
 というわけで、羂索はもう本人に直接訊くことにした。
 一日や二日だったら羂索も我慢しようかと思ったが、流石に四日もこの調子だとこれからこれが何日続くかも分からない。現状、仕事に関してはいつも通りやれているとしても今後支障が出始めないとも限らないのだ。だからこれ以上曖昧な情報を元に憶測であれこれ考えるのは止め、髙羽から直接その原因を訊き、問題点をはっきりさせてさっさと解決してしまおう。それが自分にとっても今後の自分たちにとっても吉のはずだ、と羂索は結論を出した。
 決まれば行動は早かった。結論を出したその足で、羂索はその日の仕事場である劇場の楽屋に向かった。話をするつもりで出てきたからいつもよりだいぶ時間が早いけれど、髙羽のことだからもう楽屋に来て流れの確認なりネタの最終チェックなりをしているだろう。こういうところに性根の真面目さと繊細さが出ている。元より隠しごとなんかが出来るような性格ではないのだ。改めて考えると正直ここ数日の一件は髙羽にとっても羂索にとってもすべてにおいて無駄としか言いようがなかった。更に言うのならそもそも自分に隠しごとをしようというその考えがまず気に入らない。いい加減、自分には通用しないのだと気づけ。今後はこんなことがないように二度と隠しごとなんてしないよう誓わせよう。絶対に誓わせよう。何がなんでも誓わせよう。
 そんな決意を固めながら、羂索はここ数日のもやもやを解決すべく辿り着いた楽屋のドアを開けた。
「おはよう、髙羽。あのさ、ちょっと話したいことが──」
「えっ、ちょっ、待っ……!」
 舞台用のスーツに着替えていた途中なのか、ワイシャツのボタンをすべて開け放したままの髙羽が驚いたように声を上げる。
 なにをそんなに驚いてるんだとか、着替えなら別に今まで何度もお互いの前でしているだろ、とかそんな言葉は声にならなかった。
 白いシャツの隙間から覗く紅い痕、痕、痕。
 首の付け根に鎖骨に胸に腹。いま見える範囲だけでも場所を選ばずいくつもいくつも。いっそ執着心さえ感じさせるようなそれに羂索の頭が一瞬で真っ白になる。
 おびただしいほどのそれはどう見たって鬱血痕と噛み跡で、羂索は衝動のまま髙羽に近寄りシャツの襟ぐりを掴んだ。広げて確認したその先にもいくつもの同じ紅い痕。
「──っこれ誰に付けられたの……!」
 激昂する羂索に髙羽が目を瞠る。しかしそれは間もなく違うものに変わり、声もなく口を引き結んだその顔は一瞬にして赤く染まった。それとともに髙羽の瞳がじわりと潤む。相方に情事の痕を見せてしまった羞恥心か、それともそのとき何か涙を滲ませるほど嫌なことがあったのか、髙羽のその瞳に羂索が怒りで腹の底を更に煮え立たせていると、その髙羽が羂索をキッと睨んだ。
 なぜ髙羽が自分にそんな顔をするんだ、とそんな疑問が羂索のなかで形になるより先に溜まっていたものを吐き出すように髙羽が吠えた。 
「~~~~っおまえだよ……っ!!」

 ──けんじゃくっ、やめ……っ、……だめ、だめだって……! ゃ、……っ
 ──っぁ……、……けんじゃ、く……っぁ、んっ、あ……っ
 ──ゃ、あっ……ひ、ぁっ、あぁああ────っ!

 瞬間、聞いた覚えのない髙羽の声がやけに生々しく羂索の中で再生された。
「え、……え、…………………………え?」
 一方的に流れ込んでくる完結しない情報と知らないはずの知っている声に固まる羂索を髙羽が涙目で睨みつける。

 酔った自分が何をしたのか知った羂索が髙羽に向かってきれいな土下座を決めるのは、これから二分後のことである。


24.07.28開催イベント内企画「羂髙これくしょん(ペーパーラリー)」参加作品。

再録本入稿後に、今ならいける!と三日で書き上げたのは我ながら見事なイベントブーストだったと思います。

20240728