あまったれクリーチャー

 なんとなく、そろそろ来るかもなとは思っていた。
「髙羽、充電させて」
 楽屋に入ってきて開口一番、羂索がこう言った。
 させて、と言っているにも関わらずそこに懇願するような響きは一切感じられない。座布団に座ってテーブルに向かう髙羽を見下ろす羂索の視線にもそんな甘さなどは一切なかった。いっそ不遜といってもいいほどの態度である。
 見る人が見たら青筋を立てそうな羂索の言動ではあったが、髙羽はまったく気にしていなかった。今まで何度も経験していることだし、それがこれから始まる子どもみたいなわがままのサインだと知っているからだ。
「俺、いまアンケート書いてるんだけど」
「アンケートと疲れて今にも倒れそうな私どっちが大事なの」
「羂ちゃん」
 番組への提出期限が明日なのでそこそこ差し迫っているものではあったが、今この場で羂索より優先しなければいけないほどのものでもない。一応言ってみたのは、どれくらい切羽詰まっているのか確認したかったからだ。
 どっち、などと訊いたときに浮かんだ羂索の不穏な空気が髙羽の一言で綺麗に霧散する。即答したのがよかったらしい。あまりに分かりやすくて髙羽には羂索の後ろにほわっと咲いた花が見えた。ちなみにそんなものが羂索の後ろに見えるのは、世界広しと言えど髙羽だけである。
「ほら、早くスペース空けて」
 言質を取ったと言わんばかりに偉そうにこんなことを言い出す羂索はたぶん誰が見ても可愛くない。
 だけど、髙羽にだけは別だった。自分の言葉ひとつで分かりやすく機嫌を持ち直す男が可愛くないわけがない。
 髙羽の相方兼恋人は分かりづらい故に分かりやすく、面倒くさい故に可愛い男だった。

 ことの発端は一年近く前に遡る。
 羂索と髙羽が長年組んできたコンビ、ピンチャンがC-1で準優勝した。
 残念ながら優勝は逃してしまったが、業界が一番と言っていいほど注目している賞レースである。以前とは比べ物にならないほど、そこから一気に二人の仕事量は増えた。
 売れない芸人時代がながかった髙羽としてはその忙しさは言葉に尽くせないほどだったが、二人で夢の舞台の決勝に立てたこと、それがちゃんと実績となり今の状況に繋がっていること、どこまで二人でいけるのかまだまだしてないこともやりたいことも沢山あるし、C-1優勝だって諦めてない。忙しかったが、それ以上にこんなに楽しくていいのだろうかと思うほど日々は充実していた。
 だが、どんなに楽しくても疲れは溜まる。
 当時を思い出してみても、見た目で若干の草臥れ感を出していた髙羽と比べて羂索は忙しくなる前と後でもさほど様子が変わったようには見えなかった。
肌がやたらカサついているようなことはなかったし、疲労で頭の回転が鈍るようなこともなかった。何なら疲れが滲み始めた髙羽を傍目には分かりづらくではあるが労ったりもしていた。
 そんな羂索を見て髙羽はさすがだなぁ、などと暢気に思っていたのだがそんなことはない。羂索だって人間だったのだ。
 年末から仕事仕事仕事の日々の中でやっともぎ取った休日、とうとうそれは爆発した。

「おはよう」
「お、おはよう……?」
 目覚めてまず目に入ってくるのが恋人の顔、というのは髙羽にとってそう珍しいことではない。一緒のベッドで寝ているから髙羽が起きたときにまだ羂索が横で寝ていることもあるし、まだ寝ている髙羽を羂索が起こすこともある。
 だからまったく珍しいことではないのだが、起きてまず目に入ってきた恋人が畏まるようにベッドの脇に座っていたら話は別である。
「とりあえず朝ごはんは作ったし、洗濯もしておいた。買い物は昨日済ませておいたから外に出なきゃいけない用事もないし、どっか遊びに行きたいとことかもないよね。あったとしても悪いけど今日は我慢して」
 こちらの返答を待たず一息で羂索が言う。
 行きたいところは特にないし、溜まっていた洗濯をしてくれたうえに、髙羽が担当だった今日の朝ごはんまで作ってくれたらしい。二人で分担すべき家事を済ませてくれたのはありがたい事この上ないが、いつにない羂索の様子に髙羽はちょっとたじろいだ。
「髙羽」
「な、なに……?」
「無理。限界。充電させて」
「……は?」
 充電ってなにが? という疑問を挟むことも出来ないほどそこからの羂索の行動は早かった。最低限、朝の身支度から作った朝ごはんを食べる時間はくれたが、逆に言うとそこまでしか時間はくれなかった。その間も充電に関する説明は一切なかったが、その後の羂索の行動を見て髙羽は納得した。
 なるほど、充電。言い得て妙である。
 つまり髙羽が朝ごはんを食べたが最後、羂索は見事なくっつき虫となったのだ。

「あ゛~~~~」
「……羂ちゃん、たのしい?」
「楽しいというか落ち着く。癒し。仕事が忙しいのはいいけど、君と触れ合う時間すらないのは流石にしんどい……」
 問答無用でソファーで羂索に後ろから抱きしめられながら、髙羽は忙しくなってからこれまでのことを考えた。
 確かによくよく考えたら忙しくなる前はそれなりにあったスキンシップが最近はなかったように思える。スケジュールがかなり立て込んでいたため、自宅にも帰るというよりは一旦寝るために戻るようなものだった。 
 なんだか悪いことをしたなぁ、と髙羽は思った。もっと早く気づいてあげるべきだった。羂索は折々で髙羽のことを気づかってくれていたのに自分は全然出来ていなかったのだ。羂索が疲れた様子を見せていなかった、というのは言い訳にならない。
 反省も踏まえて今日は羂索の好きにさせてあげよう、そんなことを思ったが残念ながらそれは甘い考えだった。
 羂索のくっつき具合が髙羽の想定を遥かに越えていたからである。
 羂索はそれはまあ見事なまでに髙羽から離れなかった。座っているときにくっついている分には全く構わないのだが、移動するときですら離れない。人間の有する三大欲求の上に髙羽を置いているので、例えご飯どきになっても髙羽にくっついたままだった。
 ちなみに髙羽は普通にお腹が減ったので後ろに羂索をくっつけたまま冷食のチャーハンを食べた。料理なんか後ろに人をくっつけたまま出来るわけがない。文明の利器様々だ。ありがとう、冷凍食品。ありがとう、電子レンジ。企業努力に感謝。
 流石に何も食べないのはどうかと思うので、羂索にも肩ごしにスプーンを差し出すと一応は食べてくれた。だが、飲み込んだあとまたすぐに髙羽の肩に顔を埋めるので本当に一応レベルである。
 これもいわゆる「あーん」というものになるのだろうか。初めての「あーん」がこれでいいのか。色気も何もないのでこれを「あーん」に含めるのは、流石に世の恋人たちに怒られそうな気がする。どちらかと言うとママさんたちの賛同を得られそうだ。うちの子、ご飯よりぬいぐるみに夢中で……。分かります、お母さん。
 充電などと言い放ち、ここまでくっついておいてセックスにもつれこまないのがいっそ不思議だった。だからタイミングを見計らって訊いてみたのだが、意外にも明日の仕事を考慮してなどという何ともまともな回答が返ってきた。
「一回抱いたらたぶん明日になっても離してあげられないと思うし、あとこの状態で手加減とかも無理」
 なので、充電。
 大人としては当然といえば当然の自制なのだが、普段は傍若無人が服を来て歩いているような男のいじらしい発言に髙羽はちょっときゅんとした。

 そんなことがそれから何回もあった。両手には足りないけど、片手はちょっと超える数。
 なるべくそんなことになる前にスキンシップは図っているつもりだけど、どうしてもそれで追いつかなくなることがある。
 それなりの経験を経て、髙羽にも羂索が充電などと言い出すタイミングが何となくは分かってきたが、しかしあくまで何となくなので残念ながら分からない時もある。そもそも羂索がなるべくそれを隠そうとしている節があった。唐突に充電、などと言われるよりは分かりやすくしておいてくれた方がありがたいのだが、まあ恋人にあまり弱ったところを見せたくないという気持ちは分からなくもない。分からなくもないが、結局そのあとくっつき虫になるのだからあまり意味がないのでは? とも思っている。
 男心って難しいなぁ、と髙羽は同じ男ながら思った。
 難しいのは男云々ではなく羂索だからだということを、羂索以外にお付き合いの経験がない髙羽は知らない。

     ○

 お望み通り空けてあげたテーブルとの間のスペースに羂索が髙羽の膝を借りて横になっている。
 膝というか太ももというか。それなりに筋肉がついているのでそんなに寝心地のいいものではないと思うのだが、髙羽の腰に腕をまわして抱きついている羂索が望んでした体勢なので羂索がいいのならこれでいいのだろう。
 人の腹に顔をうずめた羂索から、疲労か充足感からか分からない深い呼吸の音が聞こえた。服越しに感じるあたたかい息がこそばゆい。
「羂ちゃん、くすぐったい」
「我慢して」
 痛みに関しては堪え性がある方だが、くすぐったさだけは如何とも難いものがある。ただでさえ敏感な方だという自覚があるというのに。
 ちなみにこの自覚は羂索にさせられたものだ。ベッドのうえで嬉々としてそのあたりを指摘してくるのに、こういう状況になると一言でこちらに我慢を強いるのが羂索らしいといえば羂索らしい。端的に言えばわがままでしかなかったが、可愛い恋人のお願いの範疇なので髙羽はおとなしく言う通りにした。
 だって、本当ならいま充電などしなくても明日の休みを待てばよかったのだ。あと数時間がんばれば家でゆっくりさせてあげられたのに。それなのに羂索はその数時間が耐えられなかった。そう思えば、くすぐったいのを我慢するくらいはしてあげようと思える。言い方や態度がどんなに分かりづらくて面倒くさくても、そこにはいつだって髙羽を求める声があった。
 懐かなかった猫が懐くのってこんな感じなんだろうか──。髙羽は後ろ手をついて天井を見上げながらそんなことを思った。人の太ももの上でくつろぐ様子は一万歩ほど譲って猫に見えなくもない。
 そういえば以前だれかにそんな話をしたとき、そんなに可愛らしいものじゃないだろ、と言われたことがあった。誰だったっけ。祓本の五条あたりだろうか。確かに言われると猫というより大型の肉食獣の方が近いのかもしれない。気づくと髙羽はいつもぺろっと食べられてしまっている。だが、食べられることを髙羽本人が嫌がっていないので、猫だろうと大型の肉食獣だろうと些末な問題だろう。

 静かに時間が過ぎていく。
 羂索の呼吸、廊下から聞こえてくるスタッフの声、ちいさく時間を刻む時計の音。
 そのうちにがやがやと、にわかに楽屋の外が騒がしくなってきた。時計を見れば針は収録開始の十分前を指し示している。
「羂ちゃーん、羂索ー? ほら、収録はじまるからそろそろ行かねぇと」
「……まだ充電完了してないんだけど」
 腰を抱く腕に力がこもる。離れるものかという意志をひしひしと感じるが、残念ながらそうもいかない。羂索を優先してあげたい気持ちは山々だが、流石に仕事に穴を空けるわけにはいかなかった。
「俺だって出来れば羂ちゃんが満足するまで充電させてあげたいけどさ、でもやっぱりここじゃ限界があるよ」
 収録が迫っているから時間はないし、もちろん楽屋だからやっていいこととやってはいけないことがある。明日まで保たなかった羂索のことを知っているから、髙羽だっていまスタジオに向かわなければいけないのは正直心苦しい。だから少しでも元気が出るように、疲れたよね、こんなに疲れてるのに頑張っててえらいよね、いい子いい子、と頭を撫でてやる。
「それに羂ちゃんだけじゃなくって、俺だって羂ちゃん充電したいんだからな。俺だって疲れてるもん」
 ぐう、と羂索が更に顔を埋めた。起きる様子が全く見えなくてちょっと心配になってくる。
 でも他に髙羽に出来ることなんてなかった。言葉は羂索ほど上手くないし、誰かを思い通りに出来るほど頭も良くない。本音を伝えることのみが面倒くさい羂索に対抗出来る、髙羽の唯一の手段だった。
「だから、帰ったらいっぱい充電しようぜ」
 家でしか出来ないこと沢山しよう。俺、今日はわりかし体力あまってるから充電し放題よ。もちろん羂ちゃんがイヤじゃなければだけど。頭を撫でながらそんな言葉を続ける。だけど一向に反応が返ってこない。
 沈黙したままの羂索にどうしたものかと思っていたら、少しして、う゛あ゛~と何かを堪えるようなうめき声が腹のあたりから響いた。
「………………私の恋人が甘やかし上手で死にそう」
「死なないで~。俺まだ羂ちゃんとやりたいこといっぱいあるんだから」
 反応が返ってこないんじゃなくて、髙羽の言葉を噛み締めていたらしい。直截に言うのは未だに慣れないが、これで羂索の元気が出るなら慣れないこともするもんだなと思える。
 幸い、明日は久しぶりに丸一日オフだ。だから寝るのが深夜どころか明日の明け方でも、ベッドから起き上がれないようなことになってもとりあえずなんとかなるだろう。
 さっき伝えた通り、髙羽だって羂索と触れ合うのはやぶさかではないのだ。コンビで動いているのだから、髙羽だってそれなりには疲れている。羂索だけじゃなくて、髙羽にだって充電は必要だ。
 差し迫る収録時間にいい子だから早く起きてー、と頭をぽんぽんと叩くとやっと羂索が起きあがった。名残惜しさを振り払うように大きく息をついていたが、ひとまずは仕事に向かう気になってくれたらしい。
 楽屋のドアを開ける前に羂索が振り返る。
 そこには、さっきまでの不貞腐れたような様子はもうどこにもなかった。
「髙羽」
「なに?」
「寝られるなんて思わないでね」
「上等」

 羂索は面倒くさい男である。
 でも、そんな面倒くさくて可愛い男を髙羽史彦は愛している。



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