ルナルナ

 育ってない? と、羂索はふと気づいた。
 なにが、といえば髙羽の胸である。
 ただの胸筋でしかなかったそれは気づいてみれば確実に以前よりすこし大きさが増しており、大きさが増しただけでなく何とも柔らかそうなまるみまで帯びていた。
 もちろん女性の胸とは違うので、百人が見て百人がパッと分かるほどの成長ではない。だが、逆に言えば分かる者には分かる程度には育っている。
 羂索はその胸の成長理由に心当たりがあった。
 一年半ほど前からテレビの仕事が増え始めたのだが、それをきっかけとして髙羽は以前にも増して筋トレに余念がなくなった。それはあの衣装を着てだらしない身体を晒すことなどあってはならない、という髙羽のプロ意識ゆえである。ネタの精度とか平場のしゃべくりとか他にも鍛えるべきところあるんじゃない、と思わなくもないがその精神性は評価できる。プロ意識のないところにプロの仕事はないのだ。
 筋トレをしているのだから、髙羽の胸の筋肉が育つのは道理である。だが、髙羽の胸が育った理由はそれだけではなかった。髙羽の努力だけが所以ではないことを羂索はよく知っている。だってもう身に覚えしかないし。というか、筋トレだけであんなに緩やかなまるみを帯びるはずがないだろ、どう考えても。
 その理由は羂索と髙羽がいわゆる、恋人というものになったことに端を発した。
 二人の間に相方以外に恋人という関係性が足されてからそろそろ一年が経とうとしている。二人が恋人になるまでの経緯と紆余曲折はひとまず置いておくとして、おかげでこの一年は蜜月と言ってもいい日々を送っていた。お互いにやっと訪れた春だ。色づいた日常は以前とは比べ物にならないほど二人の間の楽しいや面白いを増やしてくれた。その日常を楽しんでいたのはもちろん二人とも変わらない。それでも、たぶん羂索は髙羽以上にこの日常を満喫していた。
 紆余曲折と言ってしまえば四文字で済むが、その四文字の中には髙羽に振り回され、辛酸を舐めさせられまくり、苦節としか言いようのなかった日々がある。その日々を諦めず乗り越えてようやく髙羽の恋人というポジションを勝ち得たのだ。そりゃ満喫くらいするだろ、と羂索は思う。
 満喫には色々な内容が含まれるが、おおよそは髙羽を可愛がるといった意味で捉えてもらって構わない。そして、その可愛がりは昼夜を選ばなかった。
 昼日中に(羂索にとっては)健全な意味で可愛がるのも、夜の寝室で甘く濃密な空気のなかで可愛がるのも、両方ともに違った趣があり楽しみがある。どちらも違ってどちらもいい。どちらも楽しむのが出来た恋人というものだ。優劣なんてつけられるものではない。
 だけど、羂索も男である。どちらも楽しいし、どちらもいいという気持ちにもちろん嘘はない。嘘はないが、だがやはり男としてのよろこびはどうしても後者に傾いた。だってしょうがない。こればかりは羂索が悪いのではない。男なら誰だってそうだと思う。
 なぜなら、髙羽が可能性のかたまりだったからだ。
 羂索以前の恋愛経験がほとんどない髙羽は、夜の営みの経験値がほぼゼロだった。それは何ものにも染まっていないということであり、羂索以外の誰も知らない身体ということだった。つまり、伸びしろしかないということだ。これに高揚しない男が何処にいようか。それはもう羂索だって髙羽の身体の開発に力が入ろうというものである。
 というわけで、蜜月が始まってからの羂索は筋トレに励む髙羽以上に髙羽の身体の開発に余念がなかった。羂索は努力の男である。諦めない男である。欲しいものがその先にあるのなら絶対に歩みを止めないし、その欲しいものを手に入れたときの事を想像しながら日々勉励するのも嫌いではない。
 おかげで髙羽はしっかり成長した。何も知らなかった髙羽の身体は今はもう羂索の色に染まり、潮も吹ければしっかり中イキもできるようになった。それもこれも羂索の努力の賜物である。
 開発し始めは胸に触れられたところで、なんで羂索こんなことしてるんだろ? と気持ちよさを微塵も感じていなかった髙羽が初めて乳首だけで射精に至ったときの感動を羂索は忘れない。最初に開発した髙羽の性感帯がそこだったというのもあるが、やはり自分の手で花開く恋人を見るのは想像以上の感動があった。あの経験があったからこそ、羂索による髙羽の性感帯開発はより励みを増したと言える。
 全身くまなく愛して、気持ちのいいところを増やして、髙羽が乱れていく様を見るのは日々の幸福だった。髙羽の身体はどこも好きだし、羂索に愛されることを覚えた身体で愛しく思わないところはない。だけどその中でも特に胸に触れてしまうことが多いのは、たぶん最初に得た感動に対する刷り込みのようなものと、やっぱりあの感触が原因なのだと思う。
 髙羽自身の筋トレの成果で筋肉量自体が増加したことに加えて、羂索が蜜月の中で揉み、開発し、育てた結果、髙羽の胸は確実に質量と柔らかさが増した。もちろん付き合いはじめた当初からそれなりに柔らかかったのだが、その当時の髙羽の胸を胸筋ないしは雄っぱいと言うのなら、今の髙羽の胸は立派なおっぱいである。羂索の指をその豊かな包容力で包み込み、もっちりと、しかし確かな弾力をもってその感触を伝えてくる今の髙羽の胸はひらがなの柔らかさでもっておっぱいと表されるべきだろう。
 ふんわり、ふにふに、もちもち、ふわふわ。髙羽のあの胸の感触を一言で正確に表せる言葉はないので表現はなんでもいいが、とにかく揉み心地がいいのである。力を入れていない筋肉は柔らかいと言うが、こんな素晴らしいものだったとは。
 感触はもちろんのことサイズに関しても最高としか言いようがなかった。まるで羂索の手に合わせたようなフィット感。形、大きさ、すべてが自分の手にしっくりくる。まさにシンデレラフィット。自分の手に揉まれるためにこの胸は生まれたのでは? と思わず羂索が考えてしまうのもやむ無しである。世の中には人をダメにするクッションというものがあるが、髙羽の胸は羂索にとってまさにそれだった。羂索をダメにするおっぱい。
 だから羂索が無意識に髙羽の胸に触れてしまうのはもう仕方のないことなのだ。最近では、ベッドの上だけではなくリビングなどでくつろいでいる時にも髙羽を後ろから抱きかかえながら胸を揉んでいることがある。だって、癒やされるんだからしょうがない。忙しい日々も、髙羽の存在と髙羽の胸があるから乗り切れている。
 恋人の胸揉んで何が悪いの? と、羂索は思っているし確かにそれは正論でもある。髙羽が嫌がっていたのなら問題があるが、そんな様子も特にないのだ。ならば差し支えなどあろうはずがなかった。
 ただ嫌がってはいなくても、流石に髙羽も最初の方は戸惑いの表情を浮かべていた。だけど、戸惑いつつも結局は羂索の好きなようにさせてくれている。おそらくではあるが髙羽は羂索のこれを猫のふみふみと同じようなものだと考えているようだった。なので大人しく揉まれている節がある。確かに当たらずとも遠からずではあった。
 恋人という関係性があり、お互いの同意がある。だから羂索が日々、髙羽の胸を揉むのもそれに癒やされるのも全く問題はなかった。
 だが、ここに来て羂索は可視化された髙羽の胸の成長に気づいてしまったのだ。
 最近では、スーツや普通の服装でテレビに出ることも増えたため、あの衣装を着る機会は以前よりだいぶ減ってしまった。それはつまり二人の仕事の需要と幅が増えたということで、それ自体を問題視することは今までなかったのだが、まさかこんな弊害があったとは。おかげで気づくのが遅れてしまった。しかし、気づいてしまったからにはなかったことに出来ない。これは由々しき事態である。
 髙羽の胸の成長の恩恵を受けるのが羂索だけならばいいが、公共放送や衆人環視にあの胸が晒されるとなると話は変わってくるのだ。あれ、私のものなんで私の許可なく見るの止めてくれます? と言ってもいいものか。いっそモザイクでもかけるべきだろうか。下にモザイクをかけられたことは何度かあったが、下だけを隠している場合ではない。なぜ上を隠さないのか。絶対に上も隠したほうがいい。だってあれ雄っぱいじゃなくておっぱいだし。
 コンプラがゆるい時代の「ドキっ! ~中略~ ぽろりもあるよ!」が放送されていた時代ならいざしらず、今では放送コードに引っかかってしまうのでは? 髙羽の胸のせいで道に惑う青少年が出てきてもおかしくはない。今だって少なからず変な熱量のファンがいるのに。そちらに関しては目に余るようになれば適宜それなりの処理をしているが、処理をしているからいいというものではない。流石の羂索でも、時間も手間もゼロコストというわけにはいかないのだ。髙羽とお笑い以外に使う時間など羂索には欠片もないのだから、やはりリスクヘッジはしておくべきである。
 だが、売れない芸人時代を長く過ごした髙羽があの衣装を着てテレビに出られる現状を喜んでいることを羂索は知っている。以前より衣装を着る機会は減ってしまったとはいえ、いや減ってしまったからこそ、その一回一回の機会を大切に仕事に打ち込んでいる。やはり、あの衣装は髙羽にとって何よりも大切で、何よりも憧れたヒーローの象徴なのだ。その気持ちを無視して、自分のものである髙羽の成長した胸を世間に晒したくない、という羂索のわがままで髙羽を悲しませるのは如何なものか。芸人としても、仕事としても髙羽がしていることは間違っていないのだ。だけど、恋人としてはどうしても複雑な気持ちが抑えられない。抑えたくない。
 あちらを立てればこちらが立たず。羂索の優秀な頭脳をもってしても解決するにはどうにも難しい問題だった。


「──というわけで、君の胸の成長と露出をどうにかしたいんだけど、君が仕事にもあの衣装にも矜持を持っているのは知っているからどうしたものかとずっと考えていたんだよ」
「……真面目に話を聞いた俺が馬鹿だった」
 ここ数日、珍しく憂いを帯びた表情でなにやらずっと思案している羂索を心配して声をかけた髙羽だったが、すぐにその心配は後悔に変わった。
 聞いたのが家に帰ってからでよかった、と心の底から髙羽は思った。こんなこと外で話すことではない。外じゃなくて家だったらといい、というものでもないけれど。というか、こんな話できればどこでもしたくはない。
 家に帰ってから聞いてよかったという気持ちが三割、そもそも心配なんかするんじゃなかったという気持ちが七割。もっと言えば、心配云々というよりもそんなこと知りたくなかったという気持ちが十割である。
 筋肉についてなどの正当な評価ならいいが、柔らかさや揉み心地に関してのやたら熱の入った自分の胸の対外的な評価など知りたいものではない。ましてや、言ってることの内容が内容である。一言で言って阿呆としか言いようがない。考えていることも言っていることも阿呆の極地だった。羂ちゃん、なんでたまにこんな馬鹿になるんだろう。
「あのさ、それって羂ちゃんが俺の胸揉まなきゃいい話なんじゃねぇの?」
「君、それ私に死ねって言ってる?」
「俺の胸揉まないと羂ちゃんは死ぬの……?」
「肉体的には死なないけど、精神的には確実に死ぬ」
 すごいな、俺の胸。羂ちゃんの生死を左右するのか、俺の胸。
 馬鹿にしか思えないような発言も、いい声と真面目な顔の合わせ技でこられるとやたら説得力を持つから不思議である。
 おっぱいってやっぱり男を馬鹿にさせるんだなぁ、と髙羽は思った。続けて、羂ちゃんも男だったんだなぁ、とも思った。そのおっぱいが自分のような男の胸でいいのかという点には果てしない疑問が残るけれど。
 突っ込みどころも疑問も尽きないが、胸を揉む揉まないで羂索の生死が左右されるのは髙羽としても問題だった。なので、一応は羂索の悩みに親身になってみる。
「それならさ、羂ちゃんが自分の胸揉むのはダメなの? 感触がいいから俺の胸揉んでるわけだろ? だったら羂ちゃんだって筋肉ついてるんだから柔らかいだろうし、自分の胸揉んでもそれなりに満足できるんじゃ……」
「君は自分の胸揉んで楽しい? 少なくとも私は全く楽しくない。あと君、私の話ちゃんと聞いてたかい。誰の胸でもいいわけではなくて、君の胸だからいいんだ。私の胸だけじゃなくて君以外の誰のでも駄目。揉み心地が良ければ何でもいいってわけじゃないんだよ」
 細かいところを無視して大意をまとめると、君じゃなきゃ駄目なんだ、と大変いいことを言っているようにも聞こえるが、やはり如何せん会話の内容は阿呆だった。
 いい加減芸人として突っ込みを入れた方がいいのか、真剣に話す羂索にこのままちゃんと向き合った方がいいのかと悩んだ結果、根が真面目な髙羽はひとまず羂索の言う事を検証してみることにした。自分の胸を揉んでも楽しくない、と羂索は言うけれど髙羽は自分の胸を揉んでみたことがなかったので。
 言われた通り自分の胸をむにむにと揉んではみたものの、確かに羂索が熱弁するほどいいとは思えなかった。もちろん特に気持ちよくもない。何度揉んだところで、前より筋肉ついたよな、という感想しか出てこなかった。ってなると羂ちゃんの言うことは正しいのか──、などと考えていると、はぁあああというやたら大きいため息とともに「あのさぁっ」と詰め寄るような声が聞こえた。
「ちょっと、言ってるそばからそういうことするの止めてくれる? いらいらするっていうかむらむらするんだけど。そういうことするんならベッドの上でしてよね。もちろん君が私をむらつかせたいっていうならやぶさかじゃないけど、なにそういうつもりなわけ? どうする、行く? ベッド、今すぐ」
「やぶさかでしかないんで、遠慮します」
 この妙なテンションの羂索に付き合ってベッドまで行ったら、大変なことになりそうだったので髙羽は丁重にお断りした。このままベッドにもつれ込んだら、想像すらしたことがないことをされそうな気がする。既にいっぱいされているのに。
 髙羽だって馬鹿ではない。この一年で危機察知能力は少しは高くなったし、こういう時はこういう風にしたほうがいいという羂索への対処方法もいくつか覚えたのだ。羂索に流されやすいと思われているのは節々で感じるが、髙羽だって流されるばかりではない。
 結局、髙羽がどう頑張って話を聞いたところで会話は阿呆の一途を辿った。そもそも羂索が考えても解決しないことが髙羽に解決できるわけがない。おそらくこのまま真剣に話をしたって一晩中、自分の胸のことを聞かされるだけである。建設的な話など出てくるはずもないし、話に付き合ったところで何も解決しない。ならもう自分が手を出せることはなにもない。
 というわけで、髙羽は羂索の悩みを解決することを放棄した。
 これは逃げではない。時間が解決することだって世の中往々にある。放棄した結果、羂索が阿呆な悩みを拗らせて変な方向に舵を切ってきたとしても、その時はその時だ。羂索の考えることなんて髙羽が分かるわけがないのだから、予想するだけ無駄なのである。なんとかならないことも多いけれど、なんとかなれの精神でその時に頑張るしかない。
 ひとまず未来の自分にすべてを委ねることに決めた髙羽だったが、委ねるにしてもその前に羂索に伝えておかなければいけないことがあった。やっぱり誤解とか思い違いってお互いのためにならないと思うし。
「あのね、羂ちゃん。とりあえず、ひとつ言っておきたいんだけどさ」
「なんだい?」
「俺の胸は俺のものであって、羂ちゃんのものではないです」
 目を見開いてショックで声も出ない、とでも言うように口を震わせた羂索だったが、それはすぐに「……なんで!?」という抗議の声に変わった。
 どうして君はそんなひどいことを言うんだ……! 君のその育った胸は君の努力の証でもあり、私の努力の証でもあるんだよ……! ということは私たち二人で育てあげた言わば私たち二人の子どもみたいなものじゃないか! 親権は私にもあるんだからそんな横暴な発言は許されない訂正と謝罪を要求する等々、何やら延々と喚き立てている羂索を置いて髙羽は風呂に向かった。
 とにかく今日はもう風呂に入って寝よう。羂索も自分も寝たほうがいい。ここ数日は仕事が立て込んでいて睡眠時間も少なかったのだ。羂索がこんな阿呆なことを言っているのはもしかしたらそれが原因かもしれない。それに寝て起きたらいつもの羂索に戻っているかもしれないし。益体もない抗議をいまだ続けながら後ろから着いてくる羂索もついでに風呂に放り込んで、風呂からあがったらそのまま一緒に寝てしまおう。
 これからやることの算段をつけながら、ひとまず胸筋の筋トレは控え、しばらくは腹筋と下半身まわりの筋トレに勤めよう、と思う髙羽であった。


レッツゴーとんちき

20240319