髙羽に好きな人ができた──らしい。
「髙羽さんのことをいちばん見てくれてる人らしいよ」
「お笑いの趣味も合うと言っていたな」
「いい声してるから、たまに真剣なトーンで名前呼ばれたときとかどきどきするんですって」
「自分にだけ見せてくれる子どもみたいな顔が好きだとかなんだとか」
「最初に会ったときは怖かったけど、今はもう一緒にいられてすごく楽しくてしあわせってやたらふやけた顔で言ってましたね」
「厳しいこと言うけど、最後までちゃんと見捨てないで付き合ってくれるところも好きなんだって」
性別、年齢、性格、価値観、道徳の有無。どれを取っても共通点のない者たちが口々に言う。
そして、共通点などないにも関わらず最後には皆が決まったようにこう締めくくった。
「だけど、あいつだけは絶対に止めたほうがいい」
「ねぇ、なんでみんな私に史彦に好きな人ができたって話をしてくるの? あとなんでそんな誰から見てもアウトなやつを好きになった史彦を誰も止めないの?」
「私を含めて大半の人が髙羽さんのしあわせを願ってるからじゃないかな。止めたほうがいいっていうのは髙羽さん以外全員の総意だけど、髙羽さんがその人じゃないとダメって言うからね」
机を挟んだ向かい側で、同じ顔をした双子の弟が涼しい顔で言う。
放課後の教室──週番である髙羽が職員室までクラスメイト全員分のノートを提出しに行った、その待ち時間のことである。
ここ連日、羂索はありとあらゆる人たちから髙羽の好きな人情報を浴びせかけられていた。人づてに持ち込まれるその情報は多岐にわたり、時にそれは外見のことであったり、内面のことであったり、また別の時には髙羽からその人への想いの話であったりした。
羂索が誰彼かまわずその話を聞かせてくれと頼みこんでいるのならこの状況もやむ無しなのだが、羂索はそんな話は欠片も求めていない。そもそも羂索は誰かに言われるまで髙羽に好きな人ができたことなど知らなかったし、第一報が持ち込まれてからも細かく教えてくれと誰かに乞うた覚えもない。にも関わらず、勝手に不特定多数から髙羽の好きな人の話が持ち込まれるのである。求めていないのにそんな話が日々舞い込んでくるこの状況が、羂索は不思議でしょうがなかった。
問答無用とばかりに共通点のない──あるとすれば、羂索のことを大なり小なり知っているというくらいの──知人たちからほぼ一方的に持ち込まれる髙羽の好きな人の話にいい加減うんざりしていたころ、また同じようにその話を持ってきたのが双子の弟である傑だった。
夜蛾に呼び出しをくらった五条を待つ暇つぶしを求めて傑はこちらの教室に来たらしいのだが、それはそれとして何故その話題を選択したのか。
羂索が髙羽に対してどのような想いを抱いているか、傑が知らないというのなら分かる。だがそんなわけはない。むしろ、羂索以外でその羂索の想いの深さを一番よく知っているのが双子の弟である傑だ。敢えてこんな話題を持ち込む傑の気がしれない。というか暇つぶしの会話ならもっと他に何かあるだろう。髙羽の話にしたって、誰かの好きな人の話にしたって、別に掛け合わせることはないのだ。せめてどちらかにして欲しい。髙羽以外の話などされたところで興味は一ミリもないが、今だったらまだ聞く気になれる。
とはいえ、傑がその話を持ち出したのはいい機会といえばいい機会であった。兄弟といえどもそこまでお互いに深入りはしない自分たちだ。その傑がわざわざ髙羽の好きな人などという話題を持ち込んだこと、そして兄弟ゆえの気安さから羂索はここ数日の疑問を投げかけてみた。そして返ってきたのが先ほどの答えである。おかげで、いやがらせのように持ちこまれる髙羽の好きな人の話についてある程度疑問は解決した。だが、残念ながらまだ全てではなかった。
「とりあえず後半の質問に対する答えには納得したけどさぁ、前半には全く納得できないんだけど。史彦のしあわせと、やたら私のところに史彦の好きな人の話が持ちこまれることに何の関係があるわけ?」
「言ってみれば草の根活動かな。髙羽さんは積極的にその人に告白する気はあまりないみたいだけど、はたから見ていると両思いの可能性がかなり高いからね。今みたいに誰かから髙羽さんに好きな人ができたって話を聞けば、その好きな人が髙羽さんのことを意識してくれるかもしれない」
だから、それとなく君も話題にしてくれると嬉しいよ、なんて傑は相変わらず涼しい顔で言う。
羂索の好きな人を知っておいて何故ここまで言えるのだろう。兄のしあわせについては何か考えることはないのか。まあ、髙羽のしあわせと羂索のしあわせを天秤にかけた結果、前者に天秤が傾いたと言われればぐうの音もでないのだが。
それにしても、髙羽とその髙羽の好きな人が両思いになるための草の根活動だとしたら、みんな野次馬根性がすごくないか、と羂索は思った。もしくは凄まじいお節介か。いつから自分たちの周囲はそんな押しつけがましい善意が吹き荒れるようになったのだろう。学校全体の空気としても、周囲の人間の性格的にもラブアンドピースの精神とはほど遠いと思っていたのに。
「あとまぁ、君に教えたほうが面白そうだっていうのもある。少なくとも私はね」
「ほんっと、私に負けず劣らずいい性格してるよね」
発言の内容とは百八十度おもむきの違った柔和な顔をしている傑を、羂索は頬杖をつきながら半眼で見つめた。
性格に難ありと関わるもの全てに思われている羂索だが、傑だってそれなりだ。そのいい性格が羂索は髙羽以外のありとあらゆる存在に、傑は五条や家入のような身内判定したもの以外に発揮されるかどうかの違いでしかない。度合いも違うだろ、度合いも──という意見も多数あったが羂索は馬耳東風であった。
だが、傑のこの言い分でようやく納得できた。周囲に突然ラブアンドピース旋風が巻き起こったと思うよりは、こうして羂索の反応を面白がって、と言われた方がよほど腑に落ちる。周りにどういった意味でとらえられているかまでは分からないが、羂索にとって髙羽が特別な位置にいることは周知の事実だろうから。
「……にしても、史彦に好きな人ねぇ。面白がろうと思って私のところにその話持ってきた君たちには悪いけどさぁ、私いまだに信じてないんだけど。本当にみんなの勘違いとかじゃないの? だって史彦だよ。あの感情の分かりやすさに関しては他の追随を許さない髙羽史彦だよ。私に隠しごとができるとはまったく思えないし、私が知らない間に私以上の存在ができるとも思えない」
「そういうところなんだよなぁ……」
どう聞いたところで傲慢そのものの羂索の発言に傑が呆れまじりの息を漏らす。だが、羂索に傲慢という意識はなかった。羂索にとっては純然たる事実だからである。
羂索は幼い頃より誰よりもいちばん近いところで髙羽を見てきた。髙羽とずっと一緒に生きてきた。家が近いというアドバンテージを駆使し、友だちが少なかった髙羽少年の心の隙間に入り込み、誰よりも髙羽に寄り添ってきた。髙羽が自分以外を見ないように。自分以上の存在などつくらないように。
そんな羂索の目をかいくぐって、髙羽が誰かを好きになるなど──自分が気づかぬ間に髙羽に近づいた者がいるなど、到底考えられるわけがなかった。
髙羽に好きな人ができたとの話が羂索の元に持ちこまれるようになったのはごく最近のことだ。ということは髙羽に好きな人ができたと仮定するなら、髙羽とその人物との出会い、ないしは髙羽が恋に落ちるような出来事があったのは長く見積もってもここ数週間以内の話なのだろう。だが、羂索が何度思い起こしてもそのような人物や出来事が髙羽の周囲にあったとは思われなかった。
羂索が今の今まで平静を保っている理由がこれである。羂索とて心当たりがあったのなら髙羽に好きな人ができたなどという話がもたらされた時点で何かしらの行動を起こしただろうが、どう考えてもそんなものはないのだ。
それに羂索が知らないというのに他の人間が髙羽の好きな人を知っている、というのがまずおかしい。自分以上に髙羽のことを知る者はいないと自負している羂索である。羂索が知らないというその時点で話の信憑性は低い、と判断せざるを得なかった。
羂索の元に来た全員が全員、髙羽の口からこう聞いたという体で伝えてきたが、そもそもそこに確証がないのだ。実際は違うかもしれないし、直接髙羽からどころか、伝聞に伝聞が重なって真偽が怪しくなっている可能性もある。草の根活動をしていると傑も言っていたのだから、有り得ない話ではなかった。
もしくは、皆が自分を担いでいるかだ。人望がないという自信はあるので、周囲全体が一丸となって悪ノリをしている可能性だってゼロではない。むしろその可能性が一番高い。先ほどもあげた通り、羂索にとって髙羽が特別な位置にいることは周知の事実なのだ。羂索で遊ぼうとするにせよ、それなりの意趣返しをしようとするにせよ、狙うのはそこしかないのである。
やはり、髙羽に好きな人ができたなどというのはただのデマなのでは、と羂索は改めて思った。
そんな不信を隠しもしない態度を露わにしていると「まぁ、私たちの勘違いかどうかは髙羽さんに直接訊いて確かめてみればいいんじゃない? 君曰く、誰よりも分かりやすい髙羽さんだからね」なんて、羂索とまったく正反対の空気を纏いながら傑が言う。
「私たちの誰が言っても信じないけど、髙羽さんから聞いたら信じるだろ?」などと続ける傑はやはりいい性格をしている。言葉に含みがありすぎる。ありすぎるが、これに関しては羂索も同意ではあった。誰に訊くよりも髙羽に訊くのが一番早い。
「言われなくてもそうするよ。でも、話の真偽に関しては絶対に私の方が合っているからね。これだけは譲れない」
「強情だなぁ」
「どっちがだよ」
強情というならお互い様だ。羂索の自負を知っているにも関わらず折れない傑に、流石の羂索もいらいらが募りはじめる。
だが、ここで兄弟喧嘩をしたところでしょうがない。羂索はいらつきを押しこめて聞えよがしに大きく息を吐いた。
「とりあえずもう分かったからいい加減帰れば? 五条だってそろそろ開放されたころじゃないの」
「そうだね。私も用事は済んだし帰ることにするよ。これ以上突っつくと流石に面倒くさいことになりそうだし」
「散々いろいろ言っておいてよく言う」
じゃあ、またあとでね。髙羽さんの答え聞いたら私にもちゃんと教えて、などと最後までうるさい傑を追い払うように手を振ると、傑は羂索のそんな態度など意に介さず、涼しげな笑みを残しながら去って行った。
我が弟ながら本当に面の皮が厚い。あれで人たらしなのだから恐れ入る。ある意味、私より恐ろしくないか、と思うのだが羂索のその言は誰にも理解されたことがない。何故だ。せめて、史彦くらいは味方になってくれてもいいのに。
そんなことを考えながら羂索が教室にひとりになって、十分、二十分。
校舎内に聞こえる声も段々少なくなり、職員室に行っただけにしては遅すぎないか、と流石に心配になってきた頃ようやく髙羽が戻ってきた。
「羂ちゃんごめーん、待たせた」
「おかえり、史彦」
腕まくりをした髙羽が心なし息を弾ませてこちらにやってくる。
まだ夏は遠いにも関わらず元気いっぱいな髙羽の姿に、先ほどまであったくさくさした気持ちが少しだけ霧散した。稚気に溢れる髙羽の姿はいつだって羂索の心の清涼剤だった。だが、そんな羂索の心情や先ほどまでの傑との会話やなど何も知らない髙羽は、なんとも平和に「あー疲れたぁ」などと言って歩きながら伸びをしている。
「やたら遅かったけどどっか行ってたの?」
「それがね、聞いてよ羂ちゃん。ノート運び終わったら、ついでにあれもこれもとか色々頼まれてさぁ。椅子運んだり、長机運んだり、先生たちと体育館と校舎五往復くらいしてやっと終わったーと思ったらまた違うこと頼まれるし」
そう言って髙羽はさっきまで傑が座っていた椅子に腰かけると、羂索の前の机に伸びるように倒れこんだ。
「体力あるほうだから普通のときだったらいいんだけど、今日は羂ちゃん待たせてたから」
俺、めちゃくちゃ急いで頑張ってきた、と言う髙羽の頭を羂索はぽんぽんとやさしく叩いた。
「それはそれは。お疲れさま、史彦」
「ふへへ、ありがと羂ちゃん」
羂索の労いの言葉に髙羽が顔を上げてうれしそうにはにかむ。
やっぱりいつもの史彦と一緒だ、と羂索は思った。羂索の言葉に浮かべる笑顔も、よろこびが滲むふわりとした声もいつもとなにも変わらない。
髙羽に好きな人ができたなどと言っている者たちは、髙羽のこの姿を知っているのだろうか。知ってて言っているとしたら阿呆か何かではないだろうか。だって、どう見たって髙羽のなかに自分以上の存在ができたとは思えない。いつもと同じ髙羽の様子に、先ほどまでの確信が羂索のなかでより強固なものになる。
やはり髙羽に好きな人ができたなんて話はデマや皆の勘違いなのだ。もちろん後でちゃんと髙羽に直接訊くけれども、こんなに答えが分かりきっている問いもあまりないと思う。面白がっている者たちはご愁傷様だが、羂索には予定調和の未来しか見えなかった。予定調和なんて自分がいちばん嫌う言葉だけど、今回ばかりは喜んで迎えてもいい。
そんなことを思いながら汗が滲む髙羽の額を拭うように撫でると、髙羽はくすぐったそうに目を細めた。
「とりあえず、どうする史彦? もう帰る? 疲れてるなら、もう少し休憩してからでもいいけど」
「あ、ごめん羂ちゃん、俺まだ日誌書き終わってなくてさ。ぱぱっと書いちゃうから、それだけ待ってて」
そしたら、一緒に帰ろう。そう言って髙羽は羂索の手に体温の余韻を残して起き上がると、自分の席に日誌を取りに行った。そして戻ってくると今度は机の上に日誌を広げ、いそいそと空欄を埋めていく。
自分たち以外だれもいない教室に髙羽がペンを走らせる音だけが響いていた。静かな教室を暮れなずむ夕陽が染め上げる。
ふと、髙羽の体温が残る手がじわりと疼いて、羂索は意味もなく目の前の髙羽に触れたくなった。
すこしでも早く書いてしまおうと真剣に日誌に向かう髙羽の邪魔はしたくないからじっと我慢はするけれど、好きな人とふたりっきりだというのに触れずにいるのはそれなりに忍耐力がいる。
だからまぁちょうどいいか、と思った。訊こうと思ったことをいま訊いておこう。気も紛れるし、答えが分かりきっているのだからこそ、わざわざ後に残す理由もない。触れるのはともかく会話くらいだったら、たぶん邪魔にならないだろう。あっさり訊いて「羂ちゃん、それ何の話?」と何も知らない髙羽の顔を確認して無事ミッション完了だ。
「史彦さぁ」
「んー、なに羂ちゃん」
「君に好きな人ができたって聞いた、」
──んだけど、と続けようとした言葉はぐしゃっ、と日誌のページがよれる音に阻まれた。
どこにどう力を入れたのか、一瞬にしてそれはぐちゃぐちゃになりページの半分が破れてしまっている。
羂索はそれを視界の端で見た。
どうでもいいその情報をしっかりと捉えたのは、たぶん目の前の光景をちゃんと受け止められなかったからだ。
さっきまで日誌を書いていた髙羽が顔を上げてこちらを見ている。
どんぐりまなこをいつもよりずっと大きくさせて。驚きで声もない口を引き結んで。顔をみるみる赤くさせて。
理解した瞬間、心臓が一瞬で冷えた。身体の末端が凍る。地面が突然なくなった心地がした。
誰に何を言われてもあるわけがないと思っていた。
髙羽に好きな人ができたなんて。
だって羂索はそんな人知らないし、そんな心当たりもない。羂索が知らない髙羽のことなどあるわけがない。
そう、さっきまでは思っていた。
でも、今の髙羽の反応を見れば答えなんて言葉にされずとも分かる。だって誰よりも感情が分かりやすい髙羽だ。誰よりも羂索に隠しごとができない髙羽だ。さっきまであんなに羂索の言葉にうれしそうにしていたのに。さっきまでいつもと変わらない声で笑ってたのに。
なのに、髙羽には本当に好きな人ができたのだ。
羂索の知らない間に。
羂索より大切な人を。
羂索がいるべき場所に。
羂索以外の誰かを、髙羽はおいてしまった。
顔を赤くした髙羽が、隠すように机に腕をついて顔を伏せる。赤くなった耳だけを羂索に見せながらちいさく唸っている。
可愛いのに、ぜんぜん可愛くない。
羂索が見てきたなかで今の髙羽はもしかしたらいちばん可愛いのかもしれないのに、羂索にはとてもそう思えなかった。だって、これは自分がさせている顔ではない。自分を想ってしている顔ではない。
ひとしきり唸ってようやく少し落ち着いたのか、髙羽が腕の中から顔を上げ、上目遣いにこちらを見る。
「羂ちゃん、それ傑くんに聞いたの……?」
困ったように眉を寄せるその顔。熟れたように赤くなったその顔。誰かに恋をしている、羂索以外の誰かを想っている顔。
ぎり、と羂索は知らず歯を噛みしめた。
──君にそんな顔をさせるやつはどこの誰なんだよ。
喉まで出かかったその言葉を、羂索は必死に飲み込んだ。
Xでにわかに流行った「やめとけんたか」拙宅ver。
概念自体もですが響きがかわいくてすごく好きです>やめとけんたか
20240425